ねずの木という童話はグリム童話が好きなら知っている方も少なくないかもしれません。
英語ではジュニパーツリーといい、ジュニパーベリーというお酒ジンの香りの元になるスパイスがとれます。
有名なマザーグースでもネズの木の歌があり、そちらでは埋められた「僕の骨」はバラの木の下でしたが、童話ではねずの木が使われています。
これでもわかるように、このお話は結構怖いホラー要素があります。
ですが童話ならではの魅力や、そこに込められた教訓など楽しめる内容でもあります。
ここではこのお話のあらすじや解説などを紹介していきます。
読んだことのない人もきっと読んでみたくなるのではないでしょうか。
グリム童話・ねずの木の登場人物と名前
このお話にはほとんど固有名称がでてきません。
妻:男の最初の妻。子どもがなかなかできなくて白雪姫のような子どもをねずの木に願い、そして出産後亡くなります。
二番目の妻(母親):男の子の継母。マルレーンの実の母親です。悪魔にとりつかれ、男の子を殺しスープにします。
娘(妹、マルレーンもしくはマルリンヒェン):唯一名前が登場します。男の子の義理の妹で自分が兄の首を落としてしまったと勘違いしてひたすら嘆きます。
金細工師、靴屋、粉屋の職人たち:脇役です。鳥の歌がもっと聞きたくて作った作品を鳥へ贈ります。
グリム童話・ねずの木のあらすじ内容
昔々男と妻は心から愛し合っていました。
冬に妻がねずの木の下でりんごをむいていると指を切り、雪に血が落ちます。
「血のように赤く、雪のように白い子どもがいたらいいのに」
木に葉がつき花が咲き、妻はその木の実をガツガツ食べましたがその後病気になりました。
「私が死んだらねずの木の下に埋めてください」
やがて雪のように白く血のように赤い男の子を産むと妻は亡くなります。
妻を埋めると夫は泣きましたが、新しい妻をもらい娘が生まれました。
妻は自分の娘がかわいく、男の子が邪魔でした。
ある日悪魔が乗り移ったようで、妻は男の子に自分で取るよう言ってりんご箱のとても重いふたを開け、男の子が身をかがめるとふたを閉めます。
男の子の首はりんごの中にぽんと落ちました。
すると怖くなり、妻は男の子を椅子に座らせ首を体に乗せりんごを持たせ、台所でお湯を鍋に入れかき回します。
娘のマルレーンが「おにいちゃんがりんごをくれない」とやって来ると兄の耳をぶつよう言いました。
当然男の子の頭は転げ落ち、マルレーンは泣きながら戻ります。
「なんてことをしたの。仕方ない、お兄ちゃんをスープにしよう」
妻は男の子を刻み煮込んでスープにします。
マルレーンの涙が全部鍋に入り、塩は必要ありませんでした。
帰宅した夫に妻はスープを勧めます。
「こいつはうまいな。これは全部俺のものの気がする。お前たちは食べてはいけないよ」
父親が食べている間もマルレーンは泣いていました。
骨はテーブルの下へ捨て、父親は全部食べてしまいます。
大泣きのマルレーンは骨を絹の布にくるみ、ねずの木の下に置くと急に心が軽くなり、泣きやみました。
ねずの木が骨を受け入れるよう動くと木の中から美しい鳥が飛び出します。
金細工師に向かうと歌い出しました。
「おかあさんが、ぼくをころした
おとうさんが、ぼくをたべた
いもうとのマルレーンが
ぼくのほねをみんなさがして
きぬのきれにつつんで
ねずの木の下においた
キヴィット、キヴィット、ぼくはなんときれいな鳥だろ」
そこで金の鎖をもらうと次に靴屋で赤い靴をもらい、粉屋で石臼をもらいました。
鳥は戻るとねずの木にとまり歌います。
鳥は家へ戻るとねずの木にとまり、また歌い出しました。
グリム童話・ねずの木の最後の結末は?
ねずの木にとまって歌う鳥を見に父親が外へ出ると、鳥は金の鎖を首に落とします。
マルレーンも同じように外へ出ると歌い続ける鳥は靴を落としてくれます。
最後に自分も気分が軽くなれるかと母親が出ると石臼を投げ落とされました。
母親はつぶれて死んでしまいます。
するとその場所に元通りになった男の子が立っていました。
三人は大喜びで家に入り、テーブルについて食事をとるところで話は終わります。
グリム童話・ねずの木の意味・教訓、伝えたいこととは?
グリム童話には多くの残酷なシーンが登場しますが、そこに恐怖や不快感を込めていないからか子どもでも案外あっさり読めたりします。
この話も同様、かなり残酷なシーンがあるものの、読んでいるとまるで独特な絵画を見るような感覚さえあります。
マザーグースの歌にもある雰囲気がそうさせるのでしょうか。
大人にとっては生命の再生や、子どもの虐待といったメルヘンの中に潜むリアリズムなど、様々に深い意味が感じ取れますが、子どもにとって一番印象に残るのは因果応報でしょうか。
ひどいことをすればひどいことが返ってくる。
そんな教訓と、どこか不思議な世界観を味わえる内容です。
グリム童話・ねずの木の原作・初版は?作者、国や時代についても解説
原作者はフィリップ・オットー・ルンゲだと言われています。
ドイツ人のルンゲは18世紀頃のロマン主義を代表する画家で、積極的に人物描写に力を入れ、なかでも子どもの肖像画にかけては名声を博しました。
詩歌を少々創作していてドイツ文学においても重要な意味合いをもっており、本人もメルヒェンを活字にとどめ、のちにそれをグリム兄弟に提供しています。
ただグリム童話では伝承話が多いものの、この話はどこか『白雪姫』を彷彿とさせる冒頭シーンがあるとはいえ他に例が見られないため、専門家の間ではルンゲの創作であると考えられているようです。
もしくはグリム兄弟はルンゲの絵から発想など得て童話を書いたとも言われています。
グリム童話・ねずの木にまつわる都市伝説や疑問について考察
ねずの木のようなどこか残酷でホラーめいた話が何故童話として存在しているのでしょうか。
また、何故このお話はねずの木でないといけなかったのでしょうか。
鳥の独特な鳴き声も不思議ですよね。
①グリム童話・ねずの木は何故こういった怖い話なのか?
こういった残酷描写のある童話や童謡はどこの国にも存在します。
おそらくは当時よくあった子殺しや間引きなどといった現実が反映されたものだと思われます。
またカニバリズム行為は宗教にも関りがあったりしました。
そのため、男の子が復活する条件として父親の行為が表現されている可能性もあります。
②グリム童話・ねずの木で何故ねずの木が使われているのか?
この話の基準となるねずの木には象徴的な意味があると言われています。
この木の一番の特徴はジンの元となっている香りで、実からはアロマオイルも作られていますが、北欧では殺菌作用があることからカトラリーによく使用されています。
また病気の薬として使用されたり、老廃物を排出させる働きによりハーブティーとして飲まれたりもしていました。
他に浄化に使われることもあったようです。
まさに再生にふさわしい木と言えるかもしれません。
③グリム童話・ねずの木での歌にあるキヴィットという鳴き声は何か意味があるのか?
ドイツ語でキヴィットという鳥が実際いるようです。
ちなみに日本ではタゲリと呼ばれています。
もしくは日本では「コケコッコー」と聞こえる鶏がドイツでは「キカリキー」と聞こえるように、当時鳥の鳴き声が「キヴィット」と聞こえていたのかもしれません。
グリム童話・ねずの木のおすすめ絵本を紹介
ねずの木にちなんだおすすめの絵本を紹介します。
『ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ』
訳:矢川澄子
出版社:福音館書店
発行日:1986年6月30日
値段:販売元による
対象年齢:4歳~
『ねずの木 そのまわりにもグリムのお話いろいろ』のおすすめポイント
元々2冊セットの本で、現在福音館書店では復刻化を求める声がかなりあるものの今のところ絶版です。
古本店での取り扱いでは高値だったりしますが、図書館に蔵書があるようです。
センダックが選んだグリム童話です。
例えば1巻には13話が入っており、どれも有名なお話ばかりです。
残酷なシーンもさらりとした表現で、世界観にも入りやすく、グリム童話をとても楽しく読める内容になっています。
また1話ごとに話の雰囲気を損なわないセンダックの挿絵もついています。
今でも人気があるのも頷ける作品です。
グリム童話・ねずの木のまとめ
いかがでしたでしょうか。
グリム童話はどの話も大抵面白く読めますが、ねずの木はその中でも特に残酷でありながらどこか引き込まれる魅力あふれる話です。
残酷な箇所以外にも変に現実めいた昼ドラのような母親だったり、非現実的な父親だったりと独特の世界観ではありますが、どこかシュールでコミカルな感じがするのもグリム童話ならではでしょうか。
子どもが読んでもその世界観につい引き込まれてしまう内容です。
もしまだ読まれたことがないなら是非。
グリム童話がお好きな方ならこの話もとても興味深いお話だとお勧めいたします。
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